
講談社文芸文庫には『復興期の精神』が収録されている。このエッセイ集は、戦後まもない1946年(昭和21年)10月に我観社から刊行された。花田清輝の誕生日は1909年(明治42年)3月29日であるから、花田清輝37歳だ。
ここに収められている連作エッセイは、太平洋戦争が開戦する1941年(昭和16年)から「ルネサンス的人間の研究」というシリーズ名で書き継がれていたものである。エッセイの一篇一篇は、韜晦趣味と衒学趣味とをあえてぎらつかせることによって、著者自身の主張をその背面に隠すという手法が随所に見られて、実に痛快である。
花田清輝は我観社版『復興期の精神』の跋文を次のように書き起こしている。
「戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。そこで率直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、この一連のエッセイを書いた。良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。いまとなっては、殉教者面ができないのが残念でたまらない。思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである。一度、ソフォクレスについて訊問されたことがあったが、日本の警察官は、ギリシア悲劇については、たいして興味がないらしかった。」
この何とも皮肉めいた書きぶり、逆説的な物言いこそが花田清輝の身上だ。花田自身が述べている通り、彼の文章は「レトリック」に充ちている。美辞麗句に見せかけるための「レトリック」ではない。虚妄を糊塗するための「レトリック」でもない。その「レトリック」を用いなければとうてい伝達できないような含意を発生させるための仕組みなのだ。
素面のときに読んでも面白いのだが、ほろ酔い気分で読むと花田清輝の文章は実にいい。気持ちよくなる。ページをめくるごとに何度も唸らされる。ぼくは死ぬまでこんな文章は書けないなあと嘆息する。彼は1974年(昭和49年)9月23日に脳出血のために逝去した。満65歳であった。
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