虫の声がベランダの外から響いてくる。もうかすかな声だ。秋が到来した頃の音量や勢いはもはやない。秋も深まってきたということだ。
「むしのこえ」という小学校唱歌がある。「あれ松虫が、鳴いている/ちんちろちんちろ、ちんちろりん」の、あれだ。「あれ鈴虫も、鳴きだした/りんりんりんりん、りいんりん」と続く。そして、「秋の夜長を、鳴き通す/ああおもしろい、虫のこえ」で第一番終了。
子どもはしばしばこの「ああおもしろい」を「青も白い」と聞きなす。子どもなりに不思議に思う。「なぜ青が白いのだろう」。そう考える。実はぼくもそういう幼児だった。歌は「むしのこえ」ではなかったが、発想は同じだった。
幼稚園には一年間だけ通った。あまり愉快な思い出はない。ぼくは暗い幼稚園児だった。特に雨の日のことを思い出すと、今でも心がへしゃげる思いだ。雨の日は憂鬱だった。「おうちのひと」のお迎えが必要だったからだ。ぼくは毎回最後の最後まで取り残された。
それはともかく、この幼稚園では毎日の「かえりの会」で「手をたたきましょう」という歌を唄った。。「かえりの会」は、雨天を除く毎日、園庭で行われた。園児たちは園庭に組ごとに整列。並び終わるや「手をたたきましょう」の合唱である。
歌い出しは「手をたたきましょう」。そのあと、「タンタンタン タンタンタン」と続く。「足ぶみしましょう タンタンタンタン タンタンタン」だ。「笑いましょう アッハッハ」のフレーズが繰り返されて、コーラスの最後は「ああおもしろい」となる。
その「ああおもしろい」の歌詞が、当時のぼくには「青も白い」と聞こえた。そう理解して唄っていた。ほぼ毎日である。思い込みというのは本当に恐ろしい。「アッハッハ アッハッハ」と言っているのだから、「ああ、面白い」と理解すればいいものを、人間というのは不思議なものである。
何とも理不尽な歌だとぼくは内心訝しく思っていた。「青」が「白」であるとはいかなることか。そんなケッタイなことが世の中にはあるのか。これには何か深い奥の意味があるに違いない。だが、その奥の意味がわからない。言葉は言葉として放置され、その放置された言葉をぼくは毎日の「かえりの会」で唄わされていた。
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