
それに次ぐ『直筆で読む「人間失格」』は税込1,470円である。ページ数が多いこともあるが、組版や製本に工夫が見られる。『坊っちゃん』ではノドの印刷部分を読むのが大変だった。背の糊が強すぎる。固すぎる。そのため、無理をして開こうとすると本が背で割れてしまう。それに比べて、約1年後に上梓された『人間失格』は実に造本が良い。
「直筆で読む」の新書ヴィジュアル版シリーズはぜひ続けていってほしい。芥川龍之介、宮澤賢治、谷崎潤一郎、川端康成、などなど、「直筆」の写真版を作品単位で手許に置いておきたい作家はたくさんいる。
近現代の文芸家は活字化されることを前提にして創作しているだろう。活字には活字の読み方がある。「坊っちゃん」にせよ「人間失格」にせよ、集中すれば半日で読める程度の規模だ。だが、直筆原稿となるとそうはいかない。手間やひまが掛かる。しかし、自分の好きな作家の好きな作品なら、手間の掛かる味読熟読も悪くない。量より質を求めたい。
太宰治の直筆原稿(写真版)を見ていると、いろいろなことに気づかされる。文字が丁寧である。消去部分は完全に線を網状に細かくクロスさせて消している。挿入部分も明確に示されている。一貫して文字に乱れがない。句点・読点も実にわかりやすく記されている。太宰治という人間は、実に几帳面で破綻の少ない物書きであったことが手に取るようにわかる。
だからこそ、太宰治はアナーキーな破滅型無頼派として、また、アイロニカルな放蕩的エピュキュリアンとして自己演技せざるをえなかったのではあるまいか。おそらく誰にでもそういう「狂人」としての心理傾向はあるはずだ。そうした人間の普遍性に対する一つの思索成果が、太宰治の「人間失格」だったのではなかろうか。
若い頃、太宰治をずっと嫌悪していた。同族嫌悪であったかもしれない。特に「人間失格」という作品が嫌いだった。本当の「失格」を味わっている人間はこうは書かないと直感したからだ。その直感が当たっていたかどうか、いまだ不明である。
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