
「去年の暮、ふと思い附いて昔の詩稿を探していたら『語られざる哲学』と題する旧(ふる)い原稿が見附かった。百五十枚ばかりのもので、奥書には『千九百十九年七月十七日、東京の西郊中野にて脱稿』と誌してある。あの頃は九月には新学年が始まることになっていたから、ちょうど大学の二年を終えた時で、私の二十三の年である。」
その二十歳過ぎの年齢で書かれた『語られざる哲学』の冒頭部分において、三木清は次のように述べている。
「懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和らぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称賛されることを求めるのに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。」
何とすてきな語り起こしの仕方ではないか。「和らぎへりくだる心」。「純粋なる心情と謙虚なる精神」。忘れないようにしたいものだ。若き日の三木清の言葉だが、だからこそキレイゴトに満ちている。そこに輝きがある。
三木清は、大正11年(1922)、25歳のときに岩波茂雄からの資金援助を得てドイツに留学し、ハイデッガーに師事する。岩波茂雄は大正2年(1913)に神保町で古書店の営業を開始し、当時一般の値切り商法ではなく「正札商法」で読書子のココロを捉える。茂雄念願の出版事業のさきがけは、夏目漱石の『こゝろ』だった。漱石自身が凝りに凝った装幀を施した同書は快調な売り上げとなり、書肆・岩波書店の屋台骨を支えることになる。
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