
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
俵万智の短歌集『サラダ記念日』が出版されたのは1987年(昭和62年)5月のことだ。その前年に角川短歌賞を受賞。俵万智というのは本名である。1962年(昭和37年)12月31日、大阪府生まれ。その後、福井県武生(たけふ)市(現在は越前市)で少女期を過ごす。福井市内にある県立藤島高等学校に通ったが、武生から藤島高校に通う際、「田原町(たわらまち)」という駅を利用した。自分の名前と同じ読み方の駅である。
高校卒業後、俵万智は早稲田大学第一文学部国文科に進学する。高校のとき演劇部だった彼女は、大学では「アナウンス研究会」に入る。また、歌人で研究者の佐佐木幸綱に師事して短歌の創作を始めたのも大学生のときからだという。俵万智自身が歌人として作品を世に問うようになったのは、神奈川県相模原市橋本にある県立橋本高等学校勤務中のことだ。俵万智は国語科教諭だった。有名な次の短歌が『サラダ記念日』には収められている。
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
俵万智の『サラダ記念日』が刊行されたころ、ぼくはぼくなりに、「青春」と呼べる時代が過ぎつつあるということを意識していた。高校の国語科教諭を辞して修士課程の大学院生の身となったぼくには、日々の時間の流れはぼんやりとしたものに感じられた。そんな中で『サラダ記念日』を書店で手にした。こんな短歌があった。
青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる
その後、数年が経過して日本海側に移り住んでから、季節を問わずよく海を見に出掛けるようになった。そんなとき、沖を眺めながら『サラダ記念日』の中の次の短歌をよく反芻する。
今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
ともかく7月6日は「サラダ記念日」なのだ。実は、「七月六日はサラダ記念日」という短歌によって「記念日」という名称が広く一般に定着したのだという。そうした理由で、7月6日は「日本記念日学会」によって「記念日の日」とされている。「記念日の記念日」、すなわち、「メタ記念日」である。
その後、俵万智はシングル・マザーとして生きる道を選ぶ。神奈川県の県立高校の国語科教諭のままならどういう将来であっただろうか。「青春」という文字は確かに横線が多いが、縦線も斜め線もちゃんと混じっている。桂馬飛びの人生も悪くない。
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