2011年11月5日土曜日

「東京卒業」を決めたあの夜


『北の国から '92 巣立ち』のタマコ役・祐木奈江は可憐だ。渋谷道玄坂あたりのラブホテルで純(吉岡秀隆)とタマコは結ばれる。その寸前まで高倉健主演の『南極物語』のビデオが流れていた。純はその画面に見入るタマコを見て、健さんに嫉妬するのであったが、視聴者側のぼくとしては当然、吉岡秀隆に嫉妬してしまうわけだ。

 トロ子というあだ名をもつタマコは、純とそうした付き合いをしているうちに妊娠してしまう。純の父・黒板五郎は北海道からカボチャを持って上京する。豆腐屋を営むタマコの叔父(菅原文太)は、そんな五郎を威喝する。かくして若い二人に別れがやってくる。ブランコのある小さな公園。郷里の鹿児島に帰ることを決意したタマコが言う。

「東京はもういい。あたし、卒業する。……純君とのこと、楽しかった。あたし全然、後悔してないから。」

「東京卒業」――これは、ドラマシリーズ『北の国から』を通して一貫しているひとつのサブテーマである。

『北の国から '95 秘密』では、宮沢りえ演じるシュウが複雑な役柄を切なく演じている。純は、自分と同じく東京から北海道へ戻ってきた過去を持つシュウに、「東京は楽しかった?」と尋ねる。シュウは「……うん……。そっちは?」と言葉を濁す。この問に対して純は次のように答える。

「卒業した……。東京は、もう。」

 ぼく自身が「東京卒業」を決意した日のことは今もはっきりと覚えている。1993年11月19日のことであった。時刻は22時ごろである。これほど明確に日時を特定できる人間はそう多くないと思う。東京・三軒茶屋のビルと首都高の高架との間から見える星空を見上げて、ぼくは「東京はもう卒業だな」と思った。もう思い残すことはない気がした。失意からではない。満足感からであった。

 この夜、そのころ勤めていた大学の敷地内にある人見記念講堂でフリードリヒ・グルダの公演があった。アンコール演奏の最後の曲は、グルダ自作の「アリア」であった。演奏後もしばらくホールの中に留まった。観客最後の一団に混じって外へ出た。会場の中は熱気にあふれていたので、11月の夜風はかなりひんやりと感じた。しかし、心の中はあたたかさに充ちていた。

そのときぼくの頭に浮かんだのが、「東京はもう卒業してもいいな」という感覚だった。人見記念講堂がある大学には「5年間は連続勤務する」という条件で雇用されたのだったが、ぼくはその契約を破って4年で別の大学に移る決意をした。それがぼくにとっての「東京卒業」となった。やや身勝手な「東京卒業」である。

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