ぼくは髪もヒゲも伸び放題の野卑な風貌をしている。頭髪はいつも頭の後ろで束ねているが、その長さはもはやヘソの辺りまである。そんな姿で洗面所の鏡の前に立つと「ヒッピー」という言葉しか思いつかない。だが、ヒッピー風のファッションセンスもない。首から下はごく普通のおじさんスタイルだ。
頭髪は今も伸び続けている。しかし、面白いことにアゴヒゲというのは一定の長さまでしか伸びてくれない。放置しておけば、中国の仙人図のようにヌラヌラと何メートルでも伸びていくのかと思っていた。だが、個人によってリミット値があるようだ。ぼくの場合は、片手で握るのにちょうど良い長さのところで留まっている。
ズック靴やウォーキングシューズなど、かかとのところにつまみが付いている。紐が通せるようになっていることが多い。そのつまみやそこに通す紐のことをブートストラップと呼ぶ。ブートストラップをつまんで自分を持ち上げられるかという問がぼくは好きだ。同様に、自分のあごひげに掴まってぶら下がることができるかという問も楽しい。
ヒゲづらを始めた最初のころ、ある居酒屋の女将さんは「ヒゲの殿下みたい」と言ってくれた。三笠宮寛仁(ともひと)親王のことだ。殿下は自らがアルコール依存症であることをカミングアウトした。ある大学院の女子学生さんは「監督さんみたい」と言ってくれた。「監督」とはおそらく宮崎駿監督のことを指していたのだろう。
多くのひとは「山男みたい」と言った。「雪男」ではない。もしかすると本心は、「山賊みたい」と言いたかったのかもしれない。「海賊みたい」かもしれないし、「盗賊みたい」かもしれない。思えばぼくは「賊」であり「俗」である。「学校の先生のくせに……」とも言われた。口に出さなくてもそう思っている方々は多いだろう。
ぼくがヒゲを剃らなくなったのはただ面倒くさくなっただけだ。特に意味もなく、特段の理由もない。このヒゲづらにいちばん面白い反応を返してくれたのは、今は亡きオトンである。当時、オトンは孤独な入院を続けていた。ぼくは月に一度ほど岡山まで車を走らせてオトンを見舞った。
ヒゲづらになってから最初にオトンの病室を見舞ったとき、オトンは何やらゴソゴソと菓子箱を取り出してきた。おもむろにその箱を開けると、中には電気カミソリがしまってあった。電気カミソリをぼくの目の前にニュッと差し出しながらオトンはこう言った。
「おい。早う剃れ。」
オトンにとってはいかなるヒゲも単なる無精ヒゲでしかない。すべてのヒゲは剃り残しである。ぼくの場合は確かにそれに間違いないのだが、いきなり「早う剃れ」と言われるとやはりおかしかった。思わずぼくは笑った。オトンの前で笑ったのは久しぶりだった。ぼくは当分の間、このヒゲは剃らないだろう。
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