2011年11月16日水曜日

『歎異抄』(金子大榮・校注)


 住まいの近くに「最賢寺」という浄土真宗大谷派の寺院がある。市の天然記念物にも指定されている銀杏の巨木が境内にあって、秋には黄金の彩りが見事だ。

 この寺は、金子大榮という真宗系仏教学者の生家である。戦前の一時期、金子大榮はおのれの信仰信念を貫いたため、大谷大学の教職を追われたことがある。その後、名誉回復を果たしたが、そうした芯のある思想家ぶりにぼくは長く傾倒してきた。

 高校のとき、倉田百三で親鸞を知ったぼくは、親鸞関係の本を読んだり、さっぱり理解できないまま『歎異抄』や『教行心証』をひもといたりしていた。ぼくが持っていたのはどちらも岩波文庫版で、いずれも金子大榮の校注によるものだった。

 授業に出たくないときは保健室のベッドに転がり込んで読書に励んでいた。最初はいろいろな文庫本をベッドに持ち込んでいたが、やがて『歎異抄』が定番になった。金子大榮の注釈は高校生にとっては不親切きわまりないものであったが、それが逆に自分の力で読み解こうという意欲を駆り立ててくれた気がする。意味が通じるまで何度も読み返した。

 この『歎異抄』の中に出てくる「ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか」という言葉は、ぼくのごまかしの生き方を鋭く射抜いていた。思春期にして出逢ったこの言葉に、ぼくはいまだ射抜かれ続けていると言ってもよい。

 この書を通じて、我が身がとかく「罪悪深重、煩悩熾盛」の凡夫であることを思い知らされたものだ。「金子大榮」という名前を目にするとき、今でもほろ苦い感覚がどことなく伴う。当地に引っ越してきて、その金子大榮の生家が住まいのすぐ近くにあったことは、大きな驚きであり喜びであった。

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