2011年11月10日木曜日

河上徹太郎『史伝と文芸批評』(一)


大学に入学したての頃、『群像』(講談社)、『新潮』(新潮社)、『文學界』(文藝春秋)、『文藝』(河出書房新社)、『すばる』(集英社)の、いわゆる「五大文芸誌」を毎月買っていた。最初のころは、実に丁寧に読んでいた。そのうち、自分の気になる作品や記事だけになる。そうして数ヶ月もすると、買うだけで目次にも目を通さなくなっていく。それでも、『文學界』『新潮』『群像』の三誌は、かなり長い間買い求め続けたものだ。そこに何らかの気概があった。

ぼくを仰天させた対談記事が掲載されたのは、『文學界』の1979年(昭和54年)11月号だった。小林秀雄と河上徹太郎による「歴史について」というタイトルの対談である。小林秀雄の文章には、つとに魅力を感じていた。小林秀雄の文章表現を晦渋だ、難解だというひとがいるが、それは小林秀雄の文章を小林秀雄の立場になって読んでいないからだと思われる。ぼくも最初のうちは、自分の読むという行為が遮蔽されているような感覚を覚えた。しかし、それが錯覚であることはゆるゆるとわかった。小林秀雄の文章は実はわかりやすい。

小林秀雄には高校生のときからずっと興味があったものの、河上徹太郎の方は『日本のアウトサイダー』を文庫で読んだことがあるぐらいで、それまでほとんど興味を持っていなかった。ところが、大学入学の年の、前述した『文學界』11月号の対談記事を読んで、ぼくは小林秀雄以上に河上徹太郎という「文人」に強い興味を抱くようになった。その対談記事が掲載された『文學界』は今でもどこかに保管しているのだが、残念ながらすぐ見つからない。そのため直接引用ができないのが残念でならない。

ともかく、わけのわからない対談なのである。「歴史について」というタイトルは、実のところはこの対談記事の内容を端的に示しているわけでもない。二人の文人は、あるときは丁々発止と渡り合い、またあるときは互いにぬらりくらりと話題を逸らす。特に後半になると、おそらくアルコールのせいもあるのだろう、話題の飛躍の仕方は尋常ではない。相手の発言とはほとんど無関係に、自分が思いついたことや思い出したことを言葉にしていく。ところが、それこそが小林秀雄と河上徹太郎という二人の文人の関係性をとてもよく表しているのだ。「文人の交わり」とはこういうものなのかとぼくは憧れた。

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