2011年10月24日月曜日

林芙美子『浮雲』

 好きな日本映画を三作品挙げろと言われたら、結構当たり前の答で申し訳ない気もするが、小津安二郎『東京物語』(1953年)、成瀬巳喜男『浮雲』(1955年)、黒澤明『赤ひげ』(1965年)となる。このうち、『浮雲』は作家・林芙美子の原作だ。1951年(昭和26年)6月28日、『めし』などの連載を抱えて疲労困憊していた林芙美子は心臓麻痺で急逝する。

『浮雲』は1949年から翌1950年にかけて連載された。完結した長編小説としては林芙美子最後の作品となった。単行本の出版は急死の一ヶ月前のことである。ぼくがこの作品を読んだのは大学に入学したばかりの頃だった。ぼくは林芙美子の原作小説よりも、先に映画の方をみていた。

 成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』を初めてみたのは中学校二年生の頃だったに違いない。当時、祝祭日の午前中、「連続テレビ小説」が終わってニュースが済むと、NHK総合テレビで日本映画の名作が放映されていた。洋画は、『月曜ロードショー』(荻昌弘)、『水曜ロードショー』(水野晴郎)、『土曜映画劇場』(筈見有弘)、『日曜洋画劇場』(淀川長治)のほか、休日午後や深夜帯にいろいろと流れていたが、日本映画はあまりテレビでは取り上げられなかった。だから、祝祭日午前中のNHK総合テレビでの日本映画放映はとても楽しみだった。

『浮雲』は林芙美子の原作もさることながら、水木洋子の脚本が凄い。ヒロインの幸田ゆき子を演じる高峰秀子、優柔不断な富岡兼吉を演じる森雅之の演技や台詞まわしもいい。「男と女を撮らせたら成瀬巳喜男」という評判通りの巧みな演出。しかもチーフ助監督はかの岡本喜八であった。そのようなことは、何度も何度もこの作品を見返しているうちに徐々に了解してきたことだ。中学校二年生のときのぼくは、ただただこの地味な白黒映画から漂ってくる濃厚な情念に圧倒された。伊香保温泉の場面はあまりに禁欲的で情欲的だ。

 それから林芙美子の原作小説を読むまでに数年が経過した。大学生となったぼくは、つまらない教養科目の大教室の片隅で、林芙美子の骨太の文体に酔った。読み進んでいるうちは、「この文体の素敵さがわかる自分は素敵だ」と、手前勝手で青くさい自己陶酔感を味わったものだ。中年になってから、再びこの小説を読み返したとき、ぼくは自分の人生が指弾されているような気がした。文芸作品とは不思議なものである。ある種の予知能力がある。


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