ぼくが小学校高学年から中学生の頃は、ときまさに「BCLブーム」と呼ばれた時代である。短波の国際放送とか中波の遠距離国内局とかを聴いて、その「受信報告書」を送り、「ベリカード」(QSLカード)と呼ばれる証明書を集めるのが大ブームになった。今もぼくの研究室にはそのころ必死に集めたベリカードのファイルがある。ほとんどは単なる絵葉書なのだが、一局一局、苦労して受信した成果なので今でも捨てることができない。
ソニー、松下、東芝、三洋、シャープ、ビクター、三菱、日立と、各家電メーカーが「BCLラジオ」の性能とデザインでしのぎを削った。ちなみにブームの火付け役となったソニーの「スカイセンサー ICF-5500」の発売が1972年(翌年にICF-5800発売)。ナショナルの名機「クーガー RF-2200」の発売が1976年。ぼくはこの年にトリオの「R-300」を入手。ポータブルではなく据え置き型だ。トリオは、往年の真空管受信機の逸品「9R-59D(S)」の製造メーカーだったので信頼感があった。
当時の自室は「勉強部屋」ではなく、完全に「シャックルーム」だった。受信機や周辺機器、さらに関連道具や関連資料を配したコーナーを無線屋用語で「シャック」と呼ぶ。やや高台に建つ木造家屋の二階であったので、電波はどんどん飛び込んでくる。しかし、それだけでは飽き足らず、じゃんじゃんアンテナを作った。窓の外にはロングワイヤー式、シングルダイポール式、ダブルダイポール式のケーブルと碍子がいつも風になびく。室内には壁面をめいっぱいに使ったループ式。アンテナセレクターでそれらを切り替える。
今はもうダメだが、中学生のころはなかなかの電子エンジニアであった。真空管でも回路が組めたし、当時全盛だったトランジスタやFETの回路も当然わかる。かつ、まだ出始めだったICでも論理回路を作って、おかげで論理演算の要領をこのときマスターした。半導体の規格表も毎年買った。わがシャックは自作のさまざまな高周波回路であふれていた。アンテナ用のカップラー(同調器)、電波強度増幅器(RFアンプ)、電波強度弱衰器(アッテネーター)、デジタル周波数カウンター、その他、自作の測定機器等々。
テスター片手にはんだごてを握らせたらちょっとした名人だった。中学校の「技術」の時間、三年のときは中波ラジオのキットを男子全員が作った。技術の担当教員は、木工と金工はすごい技術と経験の持ち主だったが、電気はからっきしダメ。工業高校の電子科に進学することになる友人とぼくの二人に向かって「お前らにすべて任せる」と宣言した。おかげでぼくたち二人の放課後は、他の男子たちが中途半端に作りかけたラジオを「修理」する業務に追われた。
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