
早くから文芸創作に目覚め、いくつもの作品を世に問うが支持は得られない。しかし、時勢におもねることを嫌うリラダンは、ますます「孤高」と「理想」の枠の中に自分の作品を押し込んでいく。世間からの無視は続く。当然、彼の生活は悪化する。
だが、それでもリラダンは、死後においてしか成就しない永遠の愛と、それに向けた現実超克の姿勢を、SF的な神秘性の中に書き綴っていく。1889年8月19日、リラダンは極貧の暮らしの中で落命する。パリの貧民救済病院の病床であった。親友のマラルメが彼の不運な死を看取ったという。
リラダンの短編集『至上の愛(L'Amour Supreme)』『奇談集(Histoires Insolites)』『新残酷物語(Nouveaux Contes Cruels)』などを読んだのは二十歳の頃だった。思うに、二十歳の頃は貪るように何でも読んだ。何でも読めた、ということか。
リラダンは当然、東京創元社が刊行した『ヴィリエ・ド・リラダン全集』全5巻で読んだ。齋藤磯雄氏による個人訳である。これは恐るべき偉業である。全集を購入するだけの財力はなかったので図書館を利用した。
『未来のイヴ(L'Eve Future)』や『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』は渡辺一夫の訳でも読むことができる。これは『渡辺一夫著作集』の第7巻に所収されている。このうち、1886年に発表された『未来のイヴ』はギリシア神話のピグマリオン伝説に基づいている。「アンドロイド」という言葉が初出する作品としても知られる。
不思議なことに、ぼくはリラダンの作品を読んでいた二十歳のころ、ディアギレフ(Sergej Pavlovich Dyagilev:1929年8月19日客死)のことも知り、北一輝(1937年8月19日刑死)のことも知った。ほぼ何のつながりもないこの3人が同じ日(しかもぼくの誕生日8月19日)に生命を落としたと知ったのは、かなり後になってからのことである。
死去した年齢は、リラダン、満52歳。北一輝、満54歳。ディアギレフ、満57歳。さて、ぼくはどのあたりが人生の限度だろう。
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